ユナニ医学-古代ギリシャからイスラム世界へ 全身をみる伝統医学

[世界文明と伝統医学]

世界の伝統医学は、世界の古代文明の発祥地と、ほぼ一致していて、文明と共に育まれたと考えられます。

インダス文明における「アーユルヴェーダ」、黄河文明における「中国医学」、エジプト文明における「エジプト医学」、ギリシャ文明における「古代ギリシャ医学」が代表的なものです。これらの伝統医学が伝播していくことによって、他の地域でも、独自の伝統医学が発達していきます。

今回は、「ギリシャ医学」が根源となり、イスラムの世界で発展した「ユナニ医学」について取り上げてみましょう。

[ユナニ医学の誕生]

ユナニ医学の「ユナニ」は、ペルシャ語で「ギリシャ風の」の意味があります。その名の通りに「ギリシャ医学」を根源としています。

古代ギリシャ医学は、バビロニアとエジプトの医学の影響を受けて発達した医学で、「医学の父」と言われるヒポクラテスに代表される体液の均衡(体液病理説)が重視されました。


ヒポクラテスの肖像画。 photo by WIKIMEDIACOMMONS

古代ギリシャ医学は、古代ローマ帝国時期に、ギリシャ人のガレノスがヒポクラテスの体液病理説を継承、体系化します。以降、ガレノスの医学は、ヨーロッパにおいて1500年以上にわたり、権威あるものとして存在し続けます。

ローマ帝国は395年に東西に分裂し、476年に西ローマ帝国が滅亡、529年に東ローマ帝国のユスティアヌス皇帝は「異端者による哲学研究や教授を禁止する勅令」が発令されたことで、アテナイにあった医学校は閉鎖され、キリスト教徒による異端者、異教徒の迫害により、多くの学者がイスラム世界であるサーサーン朝ペルシャに亡命しました。


395年 赤:西ローマ帝国 紫:東ローマ帝国 photo by Wikipedia

その結果、さまざまな宗教や人種の学者がペルシャに集まりました。また、従来あったギリシャとインドの医学を取り入れた「ペルシャ医学」の下地のもとに、イスラムの地で古代ギリシャ医学に世界各地の医学を取り込みながら、大きな発展を遂げることになりました。

そのような発展をとげたのが、体液病理説を継承しながら、医学を「理論」と「臨床」に整理したユナニ医学です。

[ユナニ医学の発展と影響] 

ペルシャは東洋・西洋の交易路に位置するため、インドの伝統医学「アーユル・ヴェーダ」、中国医学などの影響も受けています。

医学と共に錬金術も伝わった事で化学が発展し薬物の研究が進み、海上交易が盛んだったため、世界各地の生薬や香辛料が取り入れらました。

9世紀~10世紀にアル・ラーズィーが、さまざまな臨床事例を活かし、ペルシャ医学などとインド、ギリシャ・ローマの医学を融合させ、10世紀~11世紀にイブン・スィーナーよって体系的まとめられた医学書である「医学典範」はすべての医学知識を理路整然にまとめました。「医学典範」は長年にわたり、権威ある書として扱われました。


620年ペルシャのサーサーン朝 photo by Wikipedia

このように、発展してきたユナニ医学ですが、13世紀におけるモンゴル帝国の台頭により、徐々に衰退していきます。しかし、現在でも、イスラム圏に受け継がれ、パキスタン、インド、エジプト、新疆ウイグル自治区などでも、広く、実践されています。

ユニナ医学は、十字軍がイスラムと接触すると、徐々にヨーロッパに取り入れられはじめ、イスラムの医学書は、ラテン語に翻訳され広まりました。ヨーロッパでは、16世紀頃まで医学部ではユナニ医学が教えられており、イスラム世界を代表する知識人のイブン・スィーナーの「医学典範」は、17世紀以降まで教科書として利用されていました。

ユナニ医学の基本となっているのは、ヒポクラテスからガレノスに引き継がれた体液病理説である「四体液質」を基本にしています。また、四体液質に加え、万物には「四大元素」の4つの基本性質があると考えられました。

体液の種類については、当初から4種類ではなく、ヒポクラテスがアリストテレスの「四大元素」の考えの影響を受け、4種類にしたと言われています。先ずは、四大元素から見ていきましょう。

[四大元素とは]

四大元素説は、古代ギリシャの哲学から来ています。最初に唱えたのはエンペドクレスで「火、水、土、風(空気)」が四元素で、離散集合する事で自然界の変化を説明しました(元素の概念はエンペドクレス以前からあります)。

エンペドクレスの説はプラトンに受け継がれ、プラトンは図形を用いて、元素は複合体であると説明しました。

プラトンを師とするアリストテレスは、プラトンの説を否定しつつ、四大元素は4つの基本性質「熱、冷、湿、乾」を持ち、それぞれ、2つずつの基本性質を持っていると考えました。

元素性質特徴作用
熱、乾活性誘因:空気や食べ物など必要なものを取り込む
冷、湿鎮静排出:体外に不要なものを排出する
冷、乾安定滞留:体内に取り入れ、同化したものの不純物を取り除く
熱、湿活動消化:取り込んだ物質を分離、同化させる

※本表の「作用」については、アリストテレス以降の考え方になります。

このアリストテレスの考え方が体液病理説に取り込まれ、ユナニ医学にも引き継がれることになります。

[四体液質とは]

四体液質(体液病理説)では、人間の身体は四大体液によりバランスがとられ、心身ともに健康が保たれるという考え方で、身体全体のバランスが崩れると病気になるとしています。

単に、病気の部分だけに着目するのでなく、体液のバランスをとる=身体全体を観るという考え方になります。

液質元素食物の養分の体内での変化
血液適度の場合に血液ができる
粘液適度でなく冷たい場合に粘液ができる
黄胆汁適度でなく熱い場合に胆液ができ、脾臓の機能が良いとできる
黒胆汁適度でなく熱い場合に胆液ができ、脾臓の機能が悪いとできる

なお、古代ローマ時代のガレノスは四大液質と性格を結び付けました。これは、ユナニ医学にも引き継がれ、後世において纏められています。

多血質性格社交的、ずうずうしい、気前もいい、飽きっぽい、不安定など
体質筋肉質、脈は規則的、皮膚はぬくもりと弾力がある、消化器が丈夫、舌が乾きやすく、太りやすいなど
病気風邪、関節炎、頭痛など
黄胆汁質

(胆汁質)

性格熱血漢、短気、行動的、野心家、気前がいい、傲慢、気難しいなど
体質消化力が高く大食、やつれて見える、脈が速い心臓に負担がかかりやすいなど
病気肝臓、腎疾患など
黒胆汁質

(憂鬱質)

性格寡黙、頑固、孤独癖、非社交的、倹約家、利己的、神経質など
体質土気色の乾燥した冷たい肌、痩せ、脈は遅い、食欲にむらが多いなど
病気精神疾患
粘液質性格優柔不断、臆病、温和、公平、素直、内省的、気分屋など
体質肥満気味、皮膚ははやわらかさと湿り気がある、脈は遅く弱い、胃弱など
病気貧血、風邪、耳の病気

[ユナニ医学とは」

ユニナ医学では、どの体液が優位であるかによって、人の気質が判断されました。人それぞれの気質があるとし(生活習慣でも気質が異なる)、四大元素における性質は、体内の各器官も持っており、さらに、人間だけではなく、万物にもあるとされました。

健康な状態とは4つの体液のお互いに調和よくバランスをとれている状態で、病気になるのは、調和が崩れたり、いずれかの体液が多すぎたり少なすぎたりする場合としました。

ここでいう調和とは、おのおのの体液は2つの性質(元素の性質)を持っており、それが反発しつつ引かれ合うことによって調和は保たれているとしています。

病気になった身体は、自然治癒力と内なる熱によって回復するとし、体液の流れを正常に戻すために、悪いものは「発熱、嘔吐、下痢、排尿、発汗、出血、化膿」などによって排出され。発熱から化膿まで、すべて治癒の過程であると考えました。

例えると、風邪を引いたときに、発熱、発汗、嘔吐、下痢などは、全て、治癒の過程であると言うことです。

これは、ある程度、理にかなっています。風邪を引いたから熱が出るのではなく、体内で免疫細胞が風邪のウィルスと戦うために活性化すために発熱します。従って、熱は自然治癒の過程です。

[ユナニ医学は臨床重視」


ペルシャ猫 photo by keulefm

ユナニ医学は、「四大液質」と「四大元素」が根底となり発達した医学ですが、それは、あくまでも基本的な考え方であり、理論より臨床が重視されました。理論については、あくまでも、概念として捉え、その存在は、論拠なしに受け入れ、論証を試みることは間違いだとされました。

ここでいう臨床とは、医師自身による五感による観察のことで、視診(顔色、皮膚、外観)、問診(自覚症状)、触診(脈診、腹診)、尿診(色、濁り)、聞診(声、息の匂い)など細かく観察されました。これらの診察方法は、どの伝統医学でも重視されています。

治療については、過剰な体液を除き、体液のバランスを安定させることを目的に、年齢、性別、季節、体力、体格を考慮した治療が行われます。

処方される薬は、患者の体質に合わせたオーダーメイド処方になります。病気の質を見極め、反対の性質を持つ薬が処方されます。それにより、薬草の研究が進み、薬学は驚くべく発展を遂げています。

他の伝統医学にもみられますが、体液のバランスをとるために、ヘジャマットと言われる瀉血療法も行われています。崩れた体液のバランスを戻すために血液の量を減らす目的でおこなわれたものです。

当時は、この療法は根拠が乏しく、リスクが高い方法でしたが、現代医学においても、多血症、ヘモクロマトーシスなどの疾患に用いられる場合があります。

臨床の面から見てきましたが、ユナニ医学は、体液のバランスの維持目的にして、病気の予防をもっとも重視しています。

生活習慣や環境が病気の原因と考えています。そのために、生活指導や食材の性質を考慮した食事療法に重きが置かれました。体液のバランスを日々とるような生活を送ることで、病気にならないとしています。

[伝統医学としてのユナニ医学]

イスラム世界となると、イスラム教は避けてとおれません。スィーナーの「医学典範」では、「アッラーの創造した秘蔵物である自然界が、一定の目的に従っている」を指摘しています。


写真はイメージです。photo by Simple English Wikipedia

イスラム教には厳しい戒律あります。経典コーランの規律、1日5回の礼拝、断食などが、結果的に、ユナニ医学の予防医学に通じており、合理的だと考えられます。

コーランが形作られていく過程の詳細は明確ではありませんが、古代ギリシャ・ローマ医学は、哲学的思想から発生していますので、何らかの影響を受けた可能性はないのかと思わされます。

ユナニ医学の根幹となっていた「四大体液説(体液病理説)」は、19世紀に入り、ドイツの病理医のウィルヒョウが唱えた「すべての細胞は細胞から生じる」という細胞病理学の登場で否定され、衰退していきましたが、現代の西洋医学の発展の基礎になったのは間違いないでしょう。

いまだに、ヨーロッパにおける民間療法・自然療法の多くはユナニ医学の影響を色濃く残しています。また、イスラムの世界においては、イスラム教との融合はホリスティック医学として完成されたものです。

ユナニ医学をみて感じられるのは、伝統医学が現代医学への道標となっていて、切り離すことができない流れがあるということです。どのような伝統医学にしろ、予防医学を重んじ、悪いところだけをみることなく、身体全体を見るという共通の思想を見て取れます。

細分化されすぎた現代医学の限界を感じるときに、このような伝統医学が見直されるのかもしれません。

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