[麻央さんの訃報]
元フリーアナンサーであった小林麻央さんが、34歳という若さで亡くなったのが2017年6月22日。このニュースは、日本中を駆け巡り、大きな衝撃が走りました。旅立つ前の言葉が「愛している」。
いろいろなメディアで取り上げられており、麻央さんが赤裸々に生きる証をつづったamebaブログの「KOKORO」は、多くの人の共感、応援を得るとともに励みになった人も多いでしょう。筆者も、長年、病気を患っています。学ばされることばかりです。
麻央さんがブログを始めたのは2016年9月1日。お医者さんの「がんの陰にかくれないで」とう言葉を前向きにとらえ、「同じがんに悩む人へ」というコンセプトから書き始めたはじめたものです。
今回は、麻央さんの闘病に焦点をあて、見ていきます。
お断り ・麻央さんの意志を尊重するために、麻央さんのブログから、麻央さんの言葉を、多く、引用しています ・意味を損なうことがないような原文の一部分の削除及び要約、改行の削除、句読点の付加など加工しています。 |
[人間ドック、精密検査、がん宣告]
人間ドックと精密検査(2014年2月)
海老蔵さんと一緒にいった人間ドックの超音波検査で「左乳房に腫瘤があります。なるべく早く、病院へ行ってください」、がんの可能性は「五分五分」と言われます。
麻央さんは、大きな病院で、マンモグラフィーによる精密検査を受けます。
診察結果は「授乳中のしこりなので心配ないです。念のため半年後に診てみましょう」。生検の必要はないか確認したところ、必要ないと言われています。
再度の精密検査(2014年10月)
半年後の2014年8月は多忙のため、再検査には行くことができずに、2014年10月に「息子と遊んでいたときのこと、何気なく、左の乳房を触りました。どきっ。いきなり本当にパチンコ玉のようなしこりに、触れたのです。心臓が音をたてました」、「だんだん、おもちゃの音も、息子の声も、遠のいていきました」。その場で、病院へ予約を入れます。
再度の診察で、先生が触診し「大丈夫だと思いますよ。超音波でみてみましょう」と超音波検査。
「超音波で診ていた先生が一瞬、厳しい顔つきになりました。脇のしこりには気付きましたか?」、「とにかく、生検をした方が早いですから」と生検へ。
生検とがん宣告
生検した女性の医師から子供がいるか聞かれます。「母は強いですからね。乳がんは、長い付き合いなので、ゆっくりがんばりましょう」、がんの可能性を聞いたところ95%がんであるとがん宣告に等しい話があり、「子供の顔が浮かび、ポタリと涙が流れた」。
どんな顔して、家族に言えば良いのだろう。帰れなくて、ふらふら歩いた。ふらりとお店に入り、ジェノバパスタを頼んだ。ソースが少ない、パッサパサのパスタ。 なんて、まずいのだろう。涙を流すには丁度良い味だった。まずい。まずい。まずい。まずい。涙が止まらなかった |
お店から出て見上げてみた空は、いつもと何ら変わりない色だった。歩いて、歩いて、家の前まで来た。公園帰りのパパ、娘と息子が遠くに見える。娘が、私に向かってはじける笑顔で走ってくる。パパも笑っている。 飛び込んできた娘と、遅れてたどり着いた息子を抱きしめながら、この子たちのママは私ひとりなんだという喜びと怖さに、心がふるえた。「絶対治す!」と誓った。 |
生検の結果
生検から10日後、がんの告知を受けます。「この時点では、まだ脇のリンパ節転移のみだった(その後、肺や骨などに転移あり)」と明かしています。
麻央さんのように35歳未満で罹患する乳がんを「若年性乳がん」といいます。若年性乳がんは、全乳がん患者の2.7%と非常に少ないものです。特に、妊娠、授乳期の場合、見過ごされることが多く、発見時に、がんが進んでいることは珍しくありません。また、予後が不良であることが知られています。
[がんが公表される]
2016年6月9日、海老蔵さんが記者会見で、「進行性のがん、単刀直入に言うと乳がんです」、「進行具合は、かなりスピードの早いもの」、さらに、「手術に至らなかったので、抗がん剤治療ということでご理解いただきたい」と発表しました。
この会見が、麻央さんの「あるきかっけ」になったことを、のちに、ブログで語っています。
2016年10月に、海老蔵さんが、早かったら春、夏までは絶対無理だったと思っていた。しかし、もうすでにこの時点ですごいことが起こっていると真剣な表情で伝えています。6月の会見時には、非常に深刻で、危険な状態であったことがわかります。
[麻央さんの闘病生活]
2016年9月1日から、麻央さんはブログを始め、最初の記事は「なりたい自分になる」。
トップページの写真は、麻央さんらしい清楚な「白いマーガレット」です。
小林麻央です。 今日から、ブログを書くことにしました。家族はとても、驚いています。素晴らしい先生との出会いに、心を動かされました。その先生に言われたのです。 「癌の陰に隠れないで」 時間の経過とともに、がん患者というアイデンティティーが私の心や生活を大きく支配してしまっていたことに気がつきました。 元気になったら、元の自分や生活に戻れるのだから、それまでは、誰にも知らせず、心配をかけず、見つからず、と思ってきました。 乳がんであることが突然公になり、環境はぐるぐる動き出しました。そこで、これまで以上に病気の陰に隠れようとして、心や生活をさらに、小さく狭いものにしてしまいました。これは自分自身のせいです。
私は、力強く人生を歩んだ女性でありたいから、子供たちにとって強い母でありたいから、ブログという手段で、陰に隠れているそんな自分とお別れしようと決めました。 こんな自分勝手な情けない理由で、ごめんなさい。 |
この時期、「随分前の写真ですが、抗がん剤で髪が抜けるので、試してみたウィッグです」、「今は、抗がん剤のタキソールの投与を続けてきましたが、副作用で、指先の痺れが強くなってきました」など抗がん剤に関連する記事をアップしてます。主に、抗がん剤による治療が行われていたのでしょう。
QOLのための手術(2016年10月1日)
痛みなどのストレスを緩和や身体の機能改善をすることが目的とした思われるQOL改善のための手術を受けます。
根治手術ではなく、局所コントロール、QOLのための手術です。 まわりの皆は、ここまでこられたことが奇跡だと言ってくれますが、奇跡をここでは使いたくないです。 奇跡はまだ先にあると信じています。 |
QOLの手術後は、抗がん剤を休止しています。また、術後のリハビリをしています。
「術後、抗がん剤をお休みしています。FECや タキソールの蓄積で、完全に抜けていた眉毛やまつ毛が、一ヶ月経たずに、生え始め、形になりました」、「手術前から、腕が上がらない状況が続いていましたが、手術後は、リハビリを毎日していて、今はこのくらい上がります」といった記事をアップしてます。
ステージIVと明らかに(2016年10月4日)
「私はステージ4だって治したいです」とステージIVであることを明らかにします。
先生にも、私は、奇跡を起こしたい患者なんだって思っていてもらいたいです。 だから、堂々と叫びます!5年後も10年後も生きたいのだー。あわよくば30年!。 いや、40年!。50年は求めませんから。 だって、この世界に生きているって、本当に素晴らしいと、感じるから。 |
生きる(2016年11月4日)
皆様、メッセージありがとうございます。 「生きたい」ではなく「生きる」と思って下さいという言葉を見て、心が晴れました。 「生きたい」のではなく、「生きる!」のでした。「~したい」だと、いつまでも、そうなれるよう未来を追いかけ続けなくてはいけないですものね。それは疲れます。 もう「生きる」道を選んで、既に歩いていると思うと、自信が湧きます。 |
テレビへの出演(2017年1月10日)
2017年1月9日の日本テレビ系のドキュメンタリー番組に出演しています。これは、1月4日に病院でインタビューを受けたものです。
海老蔵さんへの思いや感謝の思い、病気になって気が付いた事などを前向きに語っています。うれしい瞬間は何かとインタビューされた時に「何気ない時」と答えていたことに麻央さんらしさを感じます。
このインタビューについてブログで、「今は今しかないので、記録として残すことができてよかった、と後悔なく放送をみることができました」、さらに「2017年の家族を想像しました」として、家族で一緒に桜をみたい、子供にしてあげたいことを語っています。
治療の選択が厳しい(2017年3月2日)
さまざまながん治療をいろいろな形でしてきたとことがうかがい知れます。
治療の選択というのは、いくつも治療を重ねてきたあとは、どんどん難しくなると感じます。スタンダードというもののカードが少なくなっていくからです。 |
痛みの辛さ(2017年3月3日)
痛みの辛さに悩まされながらも、痛みと不安について前向きな分析をしています。
久しぶりに、痛みで眠れず、レスキュー(臨時的に使う強い鎮痛剤)を使い、焦りました。 放射線治療で痛みが緩和したあとだけに、違う場所が痛み出すと、不安が倍増。経験の分だけ対処もできるけれど、経験の分だけ怖さがわかるのも不安。 こうして心は作られていくのだなと感じます。 |
一緒に泣く(2017年4月19日)
ここずっと 一日中横になっている毎日でした。息苦しさと 変な発汗と 痛みと。10日前まで普通に歩けたのに、10歩あるくのもやっとになってしまうの。 だから、夜、母に 背中をさすってもらって一緒に泣きました。きっと家族も陰では それぞれに泣いたりする日もあると思います。 一緒に泣いたあと残るのは、不思議と 安堵感です。苦しくても ひとりぼっちにはならない。 お母さん、一緒に泣いてくれてありがとう。 |
麻央さんは4月22日に、身体が衰弱した状態のために再入院しています。輸血も行っていますので、貧血も進んでいたと思われます。
その後に、5月11日に鎖骨下の血管に点滴用のポートを埋め込む手術を、腕の血管の限界、在宅治療の点滴に利用できることから受けています。早い時期から在宅医療も考えていたのでしょう。
[麻央さん在宅医療へ]
麻央さんは、2017年5月29日に退院し、在宅医療に切り替えました。「これからは、在宅医療に切り替え、自宅で点滴など続けながら、在宅医療の先生、看護師さん、そして何より 家族に支えてもらいながら生活していきます」、「やはり、我が家は 最高の場所です」。
ここから、麻央さんの最後となるブログまで、つれづれに見ていきます。
2017年5月30日、「久しぶりの子供達」というタイトルで、子供たちのことを書いています。「ふたりとも、ありがとう」と最後は結んでいます。
2017年6月7日、「昨夜は、とてもあたたかい気持ちで、眠りにつくことができ、今朝、とても幸せな気持ちで目覚め、日課の飲むヨーグルトを堪能しました」、「ブログを書くことは、私自身の励みになっています」と笑顔の写真とともにアップしています。
2017年6月9日、この日は、海老蔵さんが会見で麻央さんの病気を1年前に公表した日です。
1年前の今日は、私の病気が、突然、公になり、困惑、不安、湧き出てしまう残念な気持ちに包まれていました。 そんな中、主人が会見をしてくれて、家族皆の気持ちが落ち着いていったのを、今でも思い出します。 でも、人生は不思議なもので、何かの大きな力によって、不意に、舵をとられることで、それが望んでいなかったことでも、結果的に、新しい道を、開けることがあるということを学びました。 私は、舵をとられて、その後、隠れて隠れて真っ暗になったので、新しく舵を取り返しました。それが、ブログでした。 今の私の道を作ってくれたブログです。この舵取り事件(笑)は、私の人生において、大きな出来事です。皆さまとつながり、本当に励まされていました。いつも、ありがとうございます。 |
2017年6月11日、「昨日は、一日、痛みで、七転八倒していました。在宅医療の先生に相談し、座薬を試したら、ようやく落ちつくことができました」、「ここにきて、初めて口内炎がひどく、おすすめされた、カモミールティうがいを続けています。」
2017年6月17日、「在宅医療の先生がいらして、症状に合わせ、お薬や点滴の量を調整して下さいました。連動した熱、痛み、息苦しさが、取れているときの穏やかな時間は、つい、口がぽわ~んと開いてしまいます。今日は、看護師さんに、入浴補佐をして頂ける日なので、湯船まで浸かれるか楽しみです。」
2017年6月20日
麻央さんが笑顔の写真とともに書いた最後のブログ記事です。
おはようございます。 ここ数日、絞ったオレンジジュースを、毎朝飲んでいます。正確には、自分では絞る力がないので、母が起きてきて、絞ってくれるのを心待ちにしています。 今、口内炎の痛さより、オレンジの甘酸っぱさが勝る最高な美味しさ!。朝から 笑顔になれます。 皆様にも、今日 笑顔になれることが、ありますように。 |
[最後に]
麻央さんの闘病という形でみてきましたが、麻央さんのブログを読まれた方は多いでしょう。麻央さんはブログに、多くの「笑顔の写真」、「前向きなこと」、「ありがとうという言葉」が載せられています。
麻央さんが、闘病の辛さを抱えながらも、赤裸々に、前向きに、勇気をもって「がん」に立ち向かっていたことがわかります。
麻央さんがブログの記事に対するコメントを読むと、麻央さん励まされた、生きることの意味を教えてもらった、麻央さんの笑顔、優しさに癒された、勇気づけられたなどの多くのコメントが寄せられています。
がん患者やその家族、他の多くの病気に悩む人はもちろんのこと、健康な方にも心強い支えとなったことを物語っています。また、麻央さん自身も力をもらって、歩んでいたことでしょう。
最後に、麻央さんが、2016年11月にBBCに寄稿した記事をあげておきます。麻央さん自身を、まさに、表しているのではないでしょうか。
人の死は、病気であるかにかかわらず、 いつ訪れるか分かりません。 例えば、私が今死んだら、 人はどう思うでしょうか。 「まだ34歳の若さで、可哀想に」 「小さな子供を残して、可哀想に」 でしょうか?? 私は、そんなふうには思われたくありません。 なぜなら、病気になったことが 私の人生を代表する出来事ではないからです。 私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、 愛する人に出会い、 2人の宝物を授かり、家族に愛され、 愛した、色どり豊かな人生だからです。 だから、 与えられた時間を、病気の色だけに 支配されることは、やめました。 なりたい自分になる。人生をより色どり豊かなものにするために。 だって、人生は一度きりだから。 |
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