■はじめに
近年のデジタル技術の急速な進歩は、今まではSFでしかなかった技術を現実のものにしつつあります。とくにAR技術やVR技術といった映像技術の進歩には目覚ましいものがあり、これを歯科医療に応用しようとする動きがあります。
AR技術やVR技術を歯科に応用したものに、歯科治療支援システムWK2 Projectというものがあります。WK2 Projectについてまとめてみました。
■AR技術とVR技術
ARとVRは、とても似た言葉ですが、両者にはどのような違いがあるのでしょうか。
○ARってなに?
ARとはAugmented Realityの略語で、日本語では拡張現実と訳されます。
人間が認識している現実の環境を、コンピュータにより、コンピュータ上に重ね合わせて拡張する技術です。
後述するVRと似た様な技術ですが、VR以上に現実世界の物体との関連性が重視視されています。
写真はイメージです。 photo by Bradley hook
○VRってなに?
VRとはVirtual Realityの略語で、日本語では仮想現実と翻訳されています。
コンピュータを用いて、現実には存在しないもの、実物ではないものを、人間があたかもそこに存在するかのように認識できるようにする技術です。
そういった意味で、人工現実と訳すこともあります。
○ARとVRの違い
ARとVRの違いは、コンピュータに表示されるものが、現実に存在しているものを元にしているのか、もしくはそうでないのかという点です。
○MRってなに?
MRとは、Mixed Realityの略で、複合現実と日本語では訳されています。
MRは、ARとVRを組み合わせた技術のことです。ARをさらに進めて、仮想空間をそこに組み合わせるコンセプトです。
■歯科医療にAR技術を導入することで期待されていること
いままでは、歯科医師が研修をして技術を習得していくとき、もしくは研修が終わって新しい治療法が開発されて学ぶとき、新しい術式を身につけるとき、頭の中で理解してからは、指導医の指導のもと、いきなり患者さんに応用するしかありませんでした。
歯科医療は、イメージされにくいのですが、実は外科治療に分類される医療行為です。
以前から行なわれている一般的な歯科治療は、むし歯を削って詰めたり、歯石をとったり、入れ歯を作ったりするのが主でした。こうした歯科治療は、抜歯を除いてそれほど患者さんにとって大変な治療ではありません。
しかし、近年新しく開発されつつある治療法は、インプラントや歯周外科治療といった粘膜を切ったり、顎の骨を削ったり、そして骨を移植するような侵襲性の高いものになっています。
インプラント photo by WIKIMEDIACOMMONS
新しく開発された治療法は、おおむね侵襲性の高い治療となっているのです。こうした侵襲度合いの高い新しい治療法を、初めて患者さんに応用するときは、歯科医師にとってもリスクが高いものです。
技術は回数を重ねていくほど、上達していきます。治療を受ける側にとっては、熟達した歯科医師に安全に処置をしてほしいと思うものです。
そこでAR技術やVR技術を応用して、実際の患者さんに治療をおこなう前に、安全に治療技術を習得できるようにする方法が考えられています。
■歯科治療支援システムWK2 Project
○WK2 Projectってなに?
株式会社モリタは、歯科治療に使われる器材や材料を開発販売している会社です。そのモリタと、ソフトバンクグループの関連企業であるリアライズ・モバイル・コミュニケーションズが、共同で開発したAR技術とVR技術を組み合わせたMR技術を応用した歯科治療支援システムがあります。
その名称を、WK2 Projectといいます。
WK2 Projectでは歯科医師はまず、ヘッドマウントディスプレーを装着します。そのヘッドマウントディスプレー上には、歯科医師の視点で見ている現実の映像が写し出されます。
そこにCTやレントゲン写真の画像、歯や骨の形や位置、血管や神経の位置や走行、治療で使う器具の方向などを重ね合わせて表示するのです。
いままでは、CTやレントゲン写真を確認するたびに視線を動かしていたのですが、必要なくなります。頭の中でシミュレーションしてイメージするしかなかったことが、明瞭になり、とてもわかりやすくなります。今までは見えなかった血管や神経が、見えるようになるので、治療の安全性も高くなります。
しかも、重ね合わせるのは実際の患者さんに限りません。実習用の口の模型にWK2 Projectを組み合わせれば、臨床研修にも使えます。
WK2 Projectのもつ可能性は非常に広いといえます。
○WK2 Projectの特徴
WK2 ProjectはAR技術を応用している点が、画期的です。WK2 Projectで現実に重ね合わされているのは、患者さんの血管や神経や骨の形です。
血管や神経は、目で見ることは出来ません。しかし、中には手術前のCTなどのレントゲン写真から、位置を推測出来る血管や神経はあります。
こうした神経や血管の位置、顎の骨の形をヘッドマウントディスプレーに映される患者さんの映像に重ね合わせることで、治療の安全性だけでなく精度をも上げることが出来ます。
WK2 Projectでは、従来から行なわれている患者さんの口を模した型で実習を受けつつ、CGとしてガイドを表示しアドバイスを行なえるようになっています。いわばMR技術による実習環境も提供できます。
写真はイメージです。 photo by dentaprime
○WK2 Projectの臨床教育上の利点
歯科医師になるには、歯学部での6年間の大学教育を終えなければなりません。大学では、5〜6年生ごろに臨床実習がおこなわれます。
歯科医師免許を取得するために大学に通っているわけですから、歯科医師免許は持っていません。歯科医師免許がなければ現状は歯科治療を行なうことが出来ないので、臨床実習でも大学病院に通っている実際の患者さんを治療することはできません。
そこで、WK2 Projectを利用することで、あたかも実際の患者さんを治療しているような臨床実習をおこなうことが出来るようになります。
実のところ、お口の中はとても見えにくいです。指導医が指示を出しても、同じところを見ることが出来るとは限りません。しかし、WK2 Projectでは、VR技術によるCGガイドを受けることで、指導医の指示ではわかりにくいところまで、わかりやすく実習を積むことが出来るようになります。
現状では、国家試験に合格しただけで、いきなり実際の患者さんを治療します。やはり未経験のことをするわけですから、いろいろと難しいところがあります。
WK2 Projectを利用して、あらかじめ経験を積んでおくことで、研修をスムーズに、しかも安全におこなうことが望めます。
○WK2 Projectの治療上の利点
たとえば、歯を失った時に、噛み合せや見た目を回復させるためにインプラントという治療法がおこなわれることがあります。インプラント治療は、顎の骨の中にフィクスチャーとよばれる人工の歯根を埋め込み、そのうえに上部構造とよばれる差し歯をつけます。
下顎であれば、神経や動脈の走っている下顎管というトンネルが下顎骨の中にあります。上顎であれば、上顎洞という鼻の横、目の下にあたる部分にある広い空洞があります。
インプラントを埋め込む時に下顎管を傷つけると、神経が損傷し、顎先や下唇の感覚が鈍くなってしまったり、動脈を損傷すると大出血をすることがあります。
上顎洞が広く、上顎洞の底の骨が薄い場合、そこにインプラントを埋め込もうとすると、上顎洞の底を抜いてしまったり、上顎洞の中にインプラントが入り込んでしまったりするリスクがあります。
いまのところは、術者である歯科医師が、事前のレントゲンやCTの検査結果をみながら、頭の中で解剖学の知識と組み合わせてイメージしつつ行なっているのが現状です。
WK2 Projectを用いることで、ヘッドマウントディスプレー上の映像に神経や血管の走行、位置、歯や顎の骨の形を重ね合わせることができるようになります。傷つけてはいけない神経や血管が判りやすく表示されるので、インプラント手術中のこうしたリスクを防ぐことが出来ます。
また、インプラントを埋め込む方向や位置だけでなく、歯科医師が持っている器具の方向もCG画像で同時にみることができるので、より高い精度で安全に埋め込むことが出来るようになります。
ここにあげたのは一例ですが、WK2 Projectの治療上の利点がおわかりいただけるかと思います。
写真はイメージです。 photo by WIKIMEDIACOMMONS
■WK2 Projectのマスコミでの反響
WK2 Projectは、世界で初めて開発された技術です。ドイツのケルン市で開催された世界規模の歯科業界の見本市であるケルン国際デンタルショーでブース展示したところ、非常に大きな反響を得られたそうです。
本邦のマスコミでも取り上げられています。
『ARで歯科医教育、血管や神経の位置が「丸みえ」』『ソフトバンク、AR・VRで歯科治療支援』『Oculus RiftのARで歯科治療支援、ソフトバンクとモリタが開発』『実習模型にCGを重ね歯科手術のトレーニング MR技術を活用』などというトピックスで日本経済新聞やIT proその他のニュースサイトでとりあげられています。
■WK2 Projectの将来
現在は、WK2 Projectはまずは2年後を目処に、歯科臨床実習の研修用途での実用化を目指して開発が進められています。その後は歯科医師の卒後のインプラント治療など、さまざまな研修に応用されるものと思われます。
それだけでなく口腔外科領域の腫瘍や骨折の実際の手術など、活用範囲はさらに広がっていくことでしょう。
歯科医師が、ヘッドマウントディスプレーをつけて歯科治療をするのが普通になる日が来るかもしれません。
コメント