胃のなかに光を 世界で初めての胃カメラ開発秘話

[世界最初の胃カメラを開発したのは]

胃カメラの検査を受けたことがある方も多いと思います。胃カメラの正式な名前は「上部消化管内視鏡」です。胃カメラという名前が定着したのは、開発された歴史に関係があります。

みなさんは、「世界最初の胃カメラ」の開発に成功したのは日本人だったのを知っているでしょうか。

胃カメラが開発される前は、1881年にまっすぐな筒状の「硬性胃鏡」というものが作られ、1932年に硬性胃鏡を改良した「軟性胃鏡」がドイツ人医師のルドルフ・シンドラーによって作られました。


1896年の胃カメラ photo by WIKIMEDIACOMMONS

軟性胃鏡は、直径11ミリ長さ75センチで先端部の三分の一を曲がるようにしたもので、光学を駆使して豆電球を備え、直接、胃を覗くものです。

しかし、軟性胃鏡は取り扱いに熟練が必要で、患者さんが飲み込むときの苦痛の大きさや食道や胃を傷つけてしまう危険性が高く、広くは普及しませんでした。

アメリカでは柔らかいチューブにカメラを取り付けて、胃の内部を撮影する器具を作る試みが行われましたが、成功にはおよびませんでした。

世界最初の胃カメラが完成したのは、昭和25年です。このころの日本は欧米諸国に比べて胃がんの発生率が高く、全がんの死亡者数の50%以上が胃がんです。胃がんと判明した時には病状が進んでおり死亡率90%と高いものでした。

[胃カメラの開発]

東京大学医学部付属病院分院の外科医であった宇治達郎(30)は、がんの発見の遅れから多く人の命を落としてしまうことに、なんとか早期のうちに胃がんを発見できないものかと考えていました。

そこで、宇部達郎はオリンパス光学工業(現在のオリンパス)に「胃の中を撮影するための器具の作成」の話を持ち込み、主任技師長の杉浦睦夫(32)を紹介されます。そのころ、東京大空襲の影響でオリンパス光学工業の開発拠点は長野の諏訪に移転していました。

昭和24年8月31日に宇部達郎は、杉浦睦夫に会いに諏訪に向かいます。

当時のオリンパス光学工業は位相差顕微鏡の開発を急いでいため、宇治達郎の話を聞いて熱意を感じた杉浦睦夫が、上司に相談ししたものの強く反対されました。

話を終えた宇部達郎が諏訪から東京に戻る列車に、偶然、杉浦睦夫も乗り合わせていました。ところが、列車は台風の影響で長時間の停車を余儀なくされたことで、開通するまでの電車の中で、宇部達郎と杉浦睦夫は夜を徹して胃カメラについて語り合います。

杉浦睦夫が、胃カメラの開発を決意したのはこの時です。この偶然がなければ、胃カメラの開発は進んでいなかったでしょう。

杉浦睦夫は、昼間は位相差顕微鏡の開発を行い、就業時間終了後に同僚で、技術者である深海正治(29)と共に胃カメラの開発を進めました。

人間の食道の直径は約14ミリです。杉浦睦夫と宇部達郎はチューブの口径を12ミリ、内径8ミリとしました。管の先端に小型レンズ、ランプ、フィルムを内蔵させ、それを手元で遠隔操作をする仕組みを考えました。


内視鏡の模式図 oesophagus:食道 endoscope:内視鏡
photo by WIKIMEDIACOMMONS

戦後の混乱がおさまっておらず、なにもない時代です。材料探しが大変でした。チューブは柔軟性が必要なために自転車屋さんでみつけた塩化ビニールの管を使用。レンズの直径は2.5ミリのものをレンズの熟練職人に依頼して完成させます。

フィルムは、市販の35ミリのフィルムを6ミリに切って利用しました。三味線の弦を使用してフィルムのコマ送りに使い、ランプは手元で点灯させる仕組みを作り上げました。

問題となったのはランプです。直径5ミリの豆電球を電球職人の丸山政人(23)が作成。しかし、当初は4回目の発光で電球のフィラメントが切れてしまいます。胃の中の撮影のためには最低でも20回は必要です。改良に改良を重ねて、ついに、豆電球が完成します。

杉浦睦夫らは、暗室で方眼紙を貼ったフラスコに水をいれたものを胃にみたてて実験を繰り返し、試作品を完成させました。

昭和24年12月に試作品が宇部達郎の研究室に持ち込まれます。宇部達郎は新人医師の今井光之(23)と犬を使った実験に着手します。

胃の内部を撮影するためには、胃をふくらませる必要があります。最初は、胃に水を入れて撮影に試みますが胃液と水がまざり、にごってしまい写真がうまく撮れません。

そこで、空気で胃をふくらませたところ、犬の胃の内部写真の撮影に成功します。ところが、次の問題が発生します。胃のどこを撮影しているのかわからないのです。

ここでも、偶然が働きます。犬での実験は勤務が終わった夕方以降行われていましたが、ある日、たまたま、部屋の電気を付け忘れており、シャッターを切るたびに犬のお腹が光ったのです。犬のお腹が光る位置で、外部からどこを撮影しているかを確認できることが分かったのです。

さらに、レンズの焦点を合わせるために、胃壁から離れて撮影することが必要でした。そこで、透明度の高いコンドームをゴム風船の代わりに使って胃壁から5センチの位置に合うように改良します。

昭和25年9月に薄暗い手術室の中で、胃潰瘍の患者の胃の撮影を実施。腹壁から見えるランプの光を参考にフラッシュの方向などを確認しながら21回の撮影に成功します。

世界で初めて人間の胃の内部写真を撮ることに成功したのです。英語で胃のことを「ガストロ」と呼ぶために「ガストロカメラGT-I」、通称を「胃カメラ」と命名しました。

若い医師と技術者たちによる言葉で言い表すことができない努力が、実を結んだ瞬間です。

しかし、この胃カメラは故障も多く、学会でも発表されましたが認められずに、まだ、臨床で用いることまではできませんでした。

この胃カメラを引き継ぎ、実用性の高いものに作り上げたのが、田坂定孝教授の東京大学医学部付属病院第八内科とオリンパス光学工業です。


上部消化管内視鏡検査 photo by flickr

試行錯誤を繰り返しながら、患者に負担を与えないように撮影が短時間ででき、鮮明な写真を撮ることができる実用性の高いカメラの開発に成功し、胃カメラが普及するようなりました。

[胃カメラの発展へ]

アメリカで、1960年代に入ると曲がっていても光を伝えることができるグラスファイバーが使用されるようになります。グラスファィバーを使って最初に作られたものは胃のなかを観察するだけのもので撮影機能がありませんでした。

1964年に「ファイバースコープ付胃カメラ」が登場します。「ファイバースコープ付胃カメラ」は次第に改良を重ねられ、接眼部にカメラ一式を装着した形の「ファイバースコープ」=「内視鏡」が主流になります。

1980年代に入り、超小型テレビカメラ(CCD)を使ったビデオカメラを内視鏡に組み込んだ「ビデオスコープ(電子内視鏡)」が登場します。画像をテレビモニター画面に映すことができるようになりました。


1980年代の上部消化管内視鏡 photo by WIKIMEDIACOMMONS

2002年に最先端の画像技術によって、きわめて微小な病変も診断できる画像の精度を誇る「ハイビジョン内視鏡システム」が誕生します。

このハイビジョン内視鏡システムは、従来のものと比べて、微細な血管や粘膜の表層構造までリアルに観察することができるようになりました。動画や静止画像の電子的拡大が可能となり検査や診断の効率が飛躍的に進みました。

また、内視鏡の細径化が進んだことにより、経鼻内視鏡も登場しました。今後も、新しい技術の進歩によって、さらに発展していくことになると考えられます。

戦後の間もない時に、日本で開発に成功した「胃カメラ」。そこには、はかり知ることができない苦労があったことでしょう。この開発の成功によって、その後の日本の胃カメラに対する開発技術は世界に引けをとらないものになったことは間違いはありません。

宇治達郎氏(故)、杉浦睦夫氏(故)、深海正治氏は、1990年に「胃がん・胃潰瘍の早期発見に著しい成果を上げ、世界の医学発展に大きく貢献した功績」から吉川英治文化賞を受賞しています。

胃カメラ開発については、新潮社より「光る壁画」という小説に描かれています。

 

 

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